かわいいと評判【テコンドー】山田美諭(やまだみゆ)選手の転向理由・強さの秘密・二度の怪我
清楚なたたずまいからは
想像できぬ、強烈な強さを誇る
美人テコンドー選手の
山田美諭選手に
今回はせまります。
全日本7回優勝の実績を誇る最強ファイターであり、
信用金庫の職員でもある彼女。
普段のかわいらしい姿とのギャップには
誰もが驚かされます。
そして、何よりも愛知県瀬戸市出身の彼女。
愛知県民としては、応援せずにはいられません!
山田美諭選手のプロフィール&経歴
山田美諭選手のプロフィール
名前:山田 美諭
読み方:やまだ みゆ
生年月日:1993年12月13日
身長:167cm
体重:49kg
出身:愛知県瀬戸市
出身高校:私立聖霊高等学校
出身大学:大東文化大学3年
競技:テコンドー/49kg級
所属:城北信用金庫(2016年4月~)
経歴
山田 美諭選手がテコンドーをはじめたのは、中学1年のとき。
もともと、山田 美諭選手のお父さんは、空手道場を経営していたため
娘である山田選手も、3歳から空手を習っていましたが
お父さんの勧めもあって、中学1年生の時に
テコンドーへ転向しています。
テコンドーへの転向理由は?
空手は、体格が大きい方が有利になる競技なため、
山田 美諭選手は成長とともに、空手ではだんだん勝てなくなっていったそうです。
ちょうどその頃、お父さんがテコンドーに興味を持ち始めており、
体が細い山田選手でもテコンドーならば向いているのではと、
考えたようです。
山田 美諭選手は、空手の時代から
足技が得意だったので、その点でもテコンドー向きと
考えたようです。
その推察通り、
山田 美諭選手は、テコンドーでメキメキと頭角をあらわし、
2013年:
WTF世界テコンドー選手権大会 49㎏級 ベスト8
アジア大学テコンドー選手権大会 49㎏級 優勝
2014年:
アジア競技大会 -49kg級5位
2015年:
全日本テコンドー選手権大会49kg級 優勝(5連覇)
2017年:
全日本テコンドー選手権大会 -49kg級 優勝
カナダオープン選手権大会 -49kg級 2位
2018年:
全日本テコンドー選手権大会 -49kg級 優勝(2連覇)
アジア選手権 -49kg級 5位
アジア競技大会 -49kg級 3位
と、
日本のテコンドー-49kg級では、何度も優勝を経験し
東京オリンピックでも、メダルを狙っていける
注目選手となっています。
負けても悔しくなかった山田美諭選手
テコンドーへ転向後、山田 美諭選手は
もともと備わっていた素養も手伝って、
あっという間にテコンドー日本代表選手に上り詰めます。
しかし、山田 美諭選手は
日本代表という肩書きに満足しており、
試合で負けても、じつは大して悔しくなかったと言います。
その時の気持ちを振り返ってみると
「どちらかというと、やらされている感があった」と、振り返っています。
高校生の時までは、競技への向き合い方が
中途半端だった山田 美諭選手ですが
彼女が目覚めたきっかけは?
彼女を競技者として目覚めさせてくれたのが
進学した大東文化大学テコンドー部の監督でした。
試合で負けても悔しがっているように見えない山田 美諭選手に対して、
監督は「本気でオリンピックに出たいと思っているのか」と、指摘。
「そんなことはない!」 と、反発した山田 美諭選手でしたが
じつは、自分の中に監督に指摘された部分があったことに気づき
そこからは自分の意志で
テコンドーに取り組む姿勢へと変わっていったそうです。
山田美諭選手の地獄・リオ五輪代表落ちと怪我
意識が変わった山田 美諭選手の大学4年間は、
まさにリオ五輪だけを目指してテコンドー漬けの日々となります。
周りからも期待されていた山田選手の代表入りでしたが
彼女は思いがけない地獄の日々を
味わうこととなります。
2016年、
リオデジャネイロ五輪予選で
まさかの準決勝敗退。
実は、この時、
山田 美諭選手の右足の前十字じん帯と外側側副じん帯は
損傷しており、
本人も
「足をどうかしちゃったかな」という思いはあったそうなのですが
その時の彼女は
足の痛みよりも負けたという事実の方が、
理解できないほどのショックで、
状況が呑み込めず、とにかく泣きじゃくっていたそうです。
しかし、監督の「泣いている場合か!」と言った
一言で正気に戻った山田 美諭選手は、
気持ちを切り替え
敗者復活戦へと向かいます。
しかし、結果は敗退。
靭帯損傷をしている体では、十分な戦いができず、
結局は、代表落ちとなってしまいます。
怪我から復活出来たのは・・・?
この怪我により、約1年半の離脱。
引退することも考えたという山田 美諭選手。
山田選手にとって、代表落ちは、
これまでの人生の中で一番の試練だったそうです。
負けたショックで、なにもできない山田選手は
負けた試合のビデオを繰り返し見ては泣き続ける・・・。
こんな生活を送る山田美諭選手を支えてくれたのは、
家族とテコンドーの仲間達。
たくさんの人たちに支えられて、
自分は、なんて幸せ者なんだろう。と、気づいた山田美諭選手は
「このままじゃ終われない。」と
次の東京五輪に出る決心を強くしたそうです。
そして
入院している間に耳にした仲間の活躍も、
山田選手に悔しいという思いと、自分も世界で戦いたい。という思いを
強くさせたようです。
山田美諭選手に足りないのはハングリー精神?
山田美諭選手にとって
順風満帆だったテコンドー選手人生の中で
大きな挫折となった代表落ちと、怪我。
しかし、この大きな試練を乗り越えた経験は
彼女の大きな自信となり
「これからどんなことがあっても、たいていのことなら乗り越えられる」
と、山田美諭選手を一回り大きくしてくれたと言います。
今は、怪我をした経験から、
より強靭な肉体を手に入れるため、日々、トレーニングにも余念がないようです。
そして、山田美諭選手が自分に一番足りないと感じるもの。
それは・・・
ハングリー精神。
山田美諭選手は、恵まれた環境でテコンドーを続けてきましたが
海外選手は生活がかかっている人もいるので、
勝つことへの執着心が圧倒的に強く、
残り1秒でも、逆転をかけて技をかけるなど、最後まであきらめない粘り強さがあるとのこと。
それに太刀打ちするためには、もっとメンタルを鍛えて、
勝ちにこだわっていかなくては。と、
山田美諭選手は、語っています。
山田美諭選手の強い足技の秘密は柔らかさ!
テコンドーは足のボクシングと
いわれるほど、足技が重要となるスポーツですが
この強烈な足技が、山田美諭選手は
強みになっています。
この強烈足技を繰り広げられる秘密の一つに、
彼女の柔軟性があげられます。
軟体動物のように柔らかい彼女の身体能力は
相手へのキックを、より素早く、より強烈なものへと
パワーアップさせており、
彼女のかわいらしい見た目とのギャップを
より大きいものとしています。
山田美諭選手の性格は?
山田美諭選手は、
JOCが運営するアスリートの就活支援制度「アスナビ」を利用して、
城北信用金庫に就職を果たしています。
就活では、「スポーツを通して身に付けたパワーと忍耐強さ」を
積極的にアピ―ルしたそうです。
加えて、
テコンドーの日本代表選手として表に出る機会が多かったことにより
培われたコミュニケーションスキルも、
彼女の武器となり、
今は、週3日、
地域とのコミュニケーション手段を考え実行する部署に所属とのこと。
山田美諭選手が自分で強みと思う性格は
悔しい思いや経験をプラスに変えて考えられる
パワーと、忍耐強さ。
そして、コミュニケーション力のようですね。
山田美諭選手は、
日本代表の名に恥じないようにと
普段の立ち振る舞いからも意識するようになったとのこと。
代表としての「自覚」が、彼女の「人間力」を日々成長させているとも語っています。
「学生時代は親が経済的な負担をしてくれて、戦うのは自分自身のため。
でも、今は、企業が費用を出して、多くの職員が私のことを応援してくれている」とも。
これらのことから、山田美諭選手は、
社会人としての意識も強く、大変まじめな人柄でもあるようです。
また、
アスリート仲間は、普段の彼女は
”天然””おっとり”と話します。
試合の時とは、見た目・普段の雰囲気とのギャップが激しすぎるのも
彼女の魅力です。
東京オリンピックでは涙の敗退
2020年東京オリンピックのテコンドー女子49キロ級に出場した
山田美諭選手は、優勝候補に勝利し、同階級の準決勝に日本選手で初めて進出します。
しかし、準決勝、3位決定戦と、敗退し
結果は5位。メダルを手にすることはできませんでした。
2024年パリ五輪前に再び怪我
東京五輪では、メダルを取れず悔し涙を流した山田美諭選手は、リベンジを心に誓い
パリ五輪へ猛特訓。
しかし、再び、怪我に泣くことになります。
今度は、左足。
でも、彼女のメンタルは強かった。
すでに、怪我からの復活を経験している彼女は、
どのようにリハビリをスケジューリングしていけばいいのかが、わかっており
しっかりと足を治していきます。
そして、テコンドーができなかった期間に感じたことは
「自分はテコンドーが好き」
ということだったそうです。
30歳になった彼女は、様々な苦難、困難を克服してきた
鋼のメンタルを持つトップアスリートとなり、パリ五輪へと走り続けます。
彼女は言います。
「これでメダル取ったらすごいでしょ」(笑)
山田美諭選手の今後に期待せずにはいられません。
まとめ
清楚な美人の見た目とのギャップが激しい
テコンドー選手の山田美諭選手の
プロフィールや経歴、
五輪の悔しさ、2度の怪我のから復活した
彼女の性格にもせまってみました。
テコンドーをスポーツとしてメジャーにしたいという夢を語ってい山田美諭選手。
地元の瀬戸市、愛知県の人々の期待も大きいです!
是非、がんばって!
最後までお読みいただきありがとうございました。
【スポーツ】
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