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【女子バレー】全日本中田久美監督はセミヌードや離婚も恋愛話もお手の物?

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中田久美 全日本監督 セミヌード 元旦那

全日本女子バレー監督の中田久美監督は気が強くセミヌードも平気なかなりのツワモノ。

彼女の昔の秘密についてお伝えします。

怖いイメージのある中田久美監督ですが、

彼女は若いころはとても人気なバレー選手でした。

性格も豪快でしたので、バレーだけでなくセミヌードや離婚も経験しています。

 

若い時から、流されない女の子だった

中田久美さん。

監督としてどのような手腕で全日本を

伝説に残るチームとして

オリンピックまで導いてくれるのかが楽しみですね。

では、早速、中田久美監督に

せまってみましょう!!

 

目次

中田久美監督のプロフィール&経歴

 

中田久美監督のプロフィール

名前:中田久美
読み方:なかた くみ
生年月日:1965年9月3日
出身:東京都練馬区
身長:176cm
体重:62kg
血液型:A型



兄弟:一人っ子
愛称:クミ
指高:229cm
利き手:両利き
スパイク:305cm
ブロック:289cm

 

中田久美監督の経歴

 

バレーボールを始めたのは、東京都練馬区立練馬東中学校入学後から。

母親の助言があって、バレーボール部所属を決めたとのこと。

中学2年生からの英才教育バレーチーム『LAエンジェルス』に2期生として入団。

 

高校は、通信制のNHK学園高校に入学。卒業。

1980年、大谷佐知子と共に全日本代表に選出される。

 

【女子バレー】全日本監督中田久美が勝てなかった「天才」大谷佐知子とは?今は?

 

2人とも、史上最年少の15歳(中学3年生)選出として話題になる。

直後に山田重雄氏に才能を見込まれてセッターに転向。

 

1981年から1992年、1995から1996年は、強豪実業団チーム日立に所属。

 

スタメンを獲得は、中田久美さんがセッターに転向したわずか1年後。

1983年からは日本代表でもスタメンセッターとなる。

1983年、アジア選手権で優勝。

1984年、ロス五輪で銅メダル獲得。

1986年、世界選手権で主将を務める。

この年11月、練習中に右膝前十字じん帯を断裂。

この怪我は、再起不能ともいわれた大ケガでしたが、リハビリ10ヶ月後、

試合復帰する。

しかし、1988年、再び右膝を手術。しかし

右膝は完治せず、痛み止めの薬が必須となってしまうが

1988年のソウル五輪には出場する。

 

1992年、バルセロナ五輪に出場。

日本女子バレー史上初となる3度目の五輪出場となり、日本選手団の旗手も務め、

日本の「顔」となる。

 

バルセロナ五輪を最後に、一度は現役を引退しますが、

1995年に現役に復帰。

 

1996年にはアシスタントコーチに就任。

1997年に日立を退社。

バレーボール教室などの指導の他、バレーボール解説者、タレント等、

メディアの仕事が多くなる。

 

2005年から2006年、日本バレーボール協会の強化委員。

2008年、イタリアプロリーグセリエA・ヴィチェンツァのコーチに就任。

海外バレーボールチームの指導者となったのは日本人女子でははじめて。

2009年、セリエA・ノヴァーラのアシスタントコーチに就任。

2011年9月、久光製薬スプリングスのコーチに就任。

2012年監督就任。

2012年12月、天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会優勝。

監督就任1年目にしての快挙であった。

2016年10月、バレーボール女子日本代表の監督に選出。

これに伴い久光製薬では総監督となったが2017年5月、久光製薬を退部。

 

 

中田久美監督はセンスも怖さも伝説的!!

 

中田久美監督は、選手時代から、とにかく

「天才」といわれてきた人物。

 

15歳で全日本に選出され、その後の素晴らしい活躍は

「伝説」となっていますが

バレーボールセンス以外にも

かわいい顔には似つかわしくない、怖い性格も

ある意味「伝説」となっています。(笑)

 

 

バレーボールの「天才」中田久美選手時代

 

15歳で代表選出された時から、

中田久美監督のバレーボールセンスは、群を抜いて認められており、

その時代から「天才」と言われていました。

そして、事実、

中田久美監督は、選手時代、3回もオリンピックに出場するほど、

天才セッターとして、チームの中心として活躍する時期が長かった選手です。

 

ちなみに受賞歴は

1981年 – 第15回日本リーグ 新人賞
1982年 – 第16回日本リーグ ベスト6
1983年 – 第17回日本リーグ ベスト6
1984年 – 第18回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
1985年 – 第19回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
1989年 – ワールドカップ ベストセッター賞
1990年 – 第24回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
1991年 – 第25回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
2007年 – 2006-07プレミアリーグ Vリーグ栄誉賞

 

とまあ、とにかくバレーボール界において、

輝かしい経歴の持ち主なのですが、

 

バレーボール指導者としても、イタリアでコーチとしての就任を果たした

日本ではじめての女性ですし

帰国後、久光製薬監督就任1年目で、チームを優勝に導くなど、

やはり、指導者としても「伝説」を作っています。

 

 

そして、中田久美「伝説」はそれだけにはとどまりません。

中田久美さんといえば、「こわい」でも伝説を作っています。

 

中田久美監督の「こわい」伝説!!

中田久美さんが、2004年にアテネオリンピック出場を決めた

バレーボールと、フジテレビの番組「すぽると!」に

テレビ出演したときのことです。

女子代表選手たちが、いつまでも浮かれ気味だったため、

「てめえら、この野郎!!」と、一喝!

中田久美さんのマイクがONだったため、

テレビでの公開説教となってしまい、スタジオ内が一瞬に凍り付いたそうです。(笑)

 

口の悪さは、若い時から変わらずで

テレビの取材の前でも、遠慮することなく

お口の悪さ・・・?いえいえ、情熱を表現していましたので(笑)

このテレビの逸話も、特に驚くべきことではないのですが

中田久美さんは、大変男気(?)がある方で、

怖いけれど、やみくもに怒るパワハラ指導者ではありません。

 

でもね・・・違うんだよ。

自分が選手時代、

セッターとしての役目から

試合に負ければ、「セッターのせい」として、いつも怒られていたそうです。

セッターというポジションは、試合の流れを決定させてしまう大事なポジション。

試合前から、仲間の状態を細かく把握し、その分析結果を

試合でのトスに活かさねばなりません。

ですから、

中田さん自身も、「チームがまとまれば・・・」との思いから

自ら、怒られ役に徹していたそうですが、

本当は、とても嫌だったそうです。(まあ、あたりまえですけど・・)

 

ですから、自分は、

なんでもかんでも、「~のせい」のように、

やみくもに怒る監督には

ならにようにしているそうです。

 

中田久美さんが選手だった時代は、スポこん全盛時代ですから、

パワハラも、もしかしたら、当たり前だったかもしれませんね。

 

中田久美監督が選手たちの恋愛話を掌握?

 

スポーツ界にパワハラが横行していたであろう時代に

チームの中心として頑張ってきた中田久美監督。

 

彼女は「怖い人」というイメージが先行していますが、

じつは、選手たちからは、かなり厚い信頼を寄せられています。

石井優希選手や、新鍋理沙選手など、

中田久美監督だからついていく・・・というような話をされています。

 

また、中田久美監督は、なんと、

選手みんなの恋愛話を知っているとか・・・?(笑)

 

これは、選手が恋愛話を監督にするほど、

距離感が近いということなんでしょうね。

 

「怖い」だけでは、人はついていきませんので、

やはり、中田監督は「選手の気持ち」を大事に寄り添って日々過ごしているのだということがわかりますね。

 

 

中田久美監督に離婚&「セミヌード」写真集のびっくり過去!

 

中田久美監督の元旦那は誰?離婚理由は?

 

1992年のバルセルナオリンピック出場後に引退した中田久美監督は

翌年の1993年、27歳の時に結婚しています。

その元結婚相手は、林隆夫さんという方。

林隆夫さんは、甲子園出場校としても名門の国学院久我山高校で

甲子園出場をされています。

そして、お父上が歴史学者の林亮勝氏ということで、

一般人なのに、名前が有名になってしまいました。

 

この結婚は、

3年ほどで離婚となっています。

 

離婚の理由は、

夫婦のすれ違い。ということだそうです。

完璧主義だった中田久美さんは、結婚生活にも完璧を求めてしまったとか。

しかし、

じつは、この他にも理由があるのではないかとささやかれています。

その理由とは・・・

 

中田久美監督のセミヌード写真集

 

中田久美さんは、結婚後、

セミヌード写真集を出しています。

ただの写真集なら、たいして驚きませんが

セミヌードですから、

誰もがびっくりしました、

アスリートが胸を見せる写真集というのは

この時代、なかなか存在しませんでしたから、

さすがは、先駆者。

中田久美は人とは違うぞ!

という衝撃を、社会が受けたのは確かです。

 

しかし、一般の男性は、もしかしたら、

ツラかったかもしれませんね。

この写真集が、離婚の引き金になったのでは?と

憶測を呼んだのも事実ですが、

 

彼女なら、どんな逆境も、きっと

自分を一喝して、跳ね飛ばしてきたのでしょう。

 

 

 

伝説中田久美が勝てなかった唯一の「天才」とは?

輝かしいバレーボール人生を送り、

15歳の時から敵知らずで、レギュラーを勝ち取り続けてきた

中田久美さんが、唯一、

バレーボールも性格も、「勝てなかった」という「天才」が

いたそうです。

 

その選手については・・・こちらの記事で。↓

【女子バレー】全日本監督中田久美が勝てなかった「天才」大谷佐知子とは?今は?

 

まとめ

 

全日本代表、火の鳥nipponを率いる

中田久美監督。

15歳の頃から「天才」といわれる

彼女のプロフィールや

伝説的な経歴と性格、離婚やセミヌード写真集など、

彼女の人に流されない人生の歩みについて

お伝えしました。

 

ぜひ、世界バレーでも活躍を見せてほしい!

火の鳥nippon中田久美監督がんばれ!

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 



 

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