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【世界水泳】松元克央選手と頂点カツオに急成長させたコーチとは

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【世界水泳】松元克央選手と頂点カツオに急成長させたコーチとは

 

2019年世界水泳で、

松元克央選手が200m自由形で銀メダルを獲得し、

日本人男子が自由形でメダルを取るという快挙を成し遂げました。

186cmという日本人にしては恵まれた高身長を武器に、

ラスト50mでの追い込みで3位になった松元選手。

ところが、1位の選手が反則で失格になるというハプニングで、

銀メダル獲得となりました。



急成長したといわれている松元克央選手とは

どのような選手なのでしょうか?

さっそく、せまってみたいと思います。

 

目次

松元克央選手のプロフィールと愛称は?

 

松元克央選手のプロフィール

名前:松元克央選手

読み方:まつもと かつひろ

生年月日:1997年02月28日

身長:186cm

体重:85kg

所属:セントラルスポーツ

出身地:福島県

出身高校:千葉商科大学付属高等学校


松元克央選手の愛称は?

松元克央選手の愛称は「カツオ」

かつひろの漢字「克央」から来た愛称ですね。

両親も「カツオ」の愛称で松元選手を読んでおり、小学生の頃から呼ばれていたといいますから、

「カツオ」歴は、随分長い松元選手。

この「カツオ」の愛称でまさか、日本代表メンバー内からも呼ばれるとは

思っていなかったと語っています。

そして、松元選手は、この「カツオ」についての思い入れをこのように語っています。

「一人で泳がずに、たくさんの魚の群れを連れているカツオになりたい。みんなに押されるようなカツオ。

群れがたくさんいて、みんなが押してくれるみたいな。たくさん仲間がいるみたいな。

応援してくれる人がたくさんいるような選手にもなりたいので。

仲間からも、ファンからも、愛され応援される「カツオ」になりつつありますね。

 

 

松元克央選手・世界水泳200m自由形で銀メダル獲得

 

松元克央選手が2019年世界水泳200m自由形で銀メダル獲得した

記録は1分45秒22で日本新記録です。

松元選手は、3位でゴールしたものの、

1位の選手が失格になるというハプニングがあり、

2位という成績になりました。

日本人が自由形200mでメダルを取るというのは、初めてのこと。

1936年ベルリン五輪800メートルで寺田登氏が金メダルに輝いて以来、

自由形では、日本人男子はオリンピックでのメダルに手が届いていません。

 

世界水泳200m自由形決勝で、松元克央選手は、

スタートから100~150mあたりでは順位を落としていたものの、

最後のゴール手前50mからの追い上げがすばらしく、

松元選手のねばり強さをみせてくれました。

インタビューで、松元克央選手は

鈴木陽二先生のキツイ練習のおかげ。”まくれ”と言われていた。

と、喜びを語っていました。

そして、東京オリンピックでは「頂点カツオ」になりたいとも。

楽しみですね。

 

松元克央選手のコーチ鈴木陽二氏とは

 

松元克央選手が、急成長をとげ、全幅の信頼を寄せているのが

鈴木 陽二(すずき ようじ)コーチです。

鈴木 陽二コーチとは

北京オリンピック競泳代表チームのヘッドコーチをされた方で

1950年3月9日 生まれの70歳近い御年です。

育て上げた選手は、ソウル五輪金メダリスト・鈴木大地選手などで

数多くメダリストたちを育てました。

 

鈴木コーチの指導は、大変ハードで、厳しく、

「褒められることはまずない」といいます。

しかし、松元選手の追い上げのスタミナも鈴木陽二コーチのハードな練習に耐えたからこその

賜物といえるでしょう。

その証拠に、松元克央選手が鈴木陽二コーチの指導を受けるようになって1年が経過した頃の

2018年4月の日本選手権では、

自己ベストを1秒近くも縮める1分45秒93の好タイムで、初の優勝を経験しています。

「オリンピックの金メダリストを指導していたので、選手権優勝しても『まぁまぁだな』と言われますし、何をしても『まぁまぁだな』って。『まぁまぁ』という言葉で全部終わってしまいます(笑)。オリンピックで金メダルを獲らないと、褒めてくれないでしょうね」

鈴木コーチは、これぐらいでは、褒めてくれないようですね。

しかし、目指すのは、オリンピックメダリストのようで、

「やっぱり鈴木先生のメニューはすごいハード。根性がなきゃできないような練習です。ついていけるか不安があったのですが、それでもベストが出た。鈴木先生のメニューを全部全力でこなすことが出来たら、オリンピックでメダルを取れるようになるだろうなと、改めてすごいと感じました」

と、語っています。

褒めてくれないコーチの笑顔は、

通常の何倍もの威力があるようですね。

しかし、

褒めない鈴木コーチですが、じつは松元選手のことを

「久しぶりにいい選手に会ったんだよ」と言っていたそうです。

今どきの「褒める」指導ではない師弟関係ですが、

信頼関係は、強い絆でつながれているようです。

故障を乗り越えて頂点カツオに!

 

急成長し、周りからも期待されていた松元克央選手でしたが、

じつは、2018年夏以降は、右肩の痛みが悪化し、

故障のため、あまり泳ぎ込む練習ができていません。

練習メニューは、リハビリ中心の練習となり、

プールに入ってもキック練習程度。

周囲と比べれば50%程度のメニューだったといいます。

 

しかし、東京オリンピックは容赦なくせまってくるため

気持ち的にも相当、焦ってしまったようです。

しかし、

限られた時間の中で、限られたトレーニングメニューで、とにかく頑張るしかないと、

松元選手は、自分の泳ぎについて、自問自答し、トレーニングするという毎日を送ります。

そして、その、苦しい日々の中で、

松元選手は、泳ぎについて気づきます。

「今まで速ければいいと思っていたけど、肩を壊したことによって、この泳ぎはずっと続けられないんだって感じた。

もっと速ければいいというわけではなく、肩とかに負担の少ない、

より効率のいい泳ぎを見つけないと、今後はやっていけないんだなとすごく感じた」

「ケガをしないと、その泳ぎがダメだったことに気付かない。」とも。

 

松元克央選手は、もともと、右手に頼って

水をかく泳ぎ方をしていたといいます。

そのため、

背中の右側の筋肉だけが発達するほどだったとか。

 

左右のバランスが悪かったため、動きを左右均等に修正し、

スムーズな泳ぎ方になるように変更し、

肩の故障のため、上半身のトレーニングができなくなり、

否応なしに下半身を強化。

筋トレでは80キロ弱しか上げられなかったスクワットは100キロまで上げられるようになっています。

その結果、今までよりも楽に泳げるようになったといいます。

 

リハビリと地味なトレーニングから、肩の痛みは随分、やわらいだものの、

まだ、痛みがゼロとまではいかないようですが、

恩師である鈴木陽二コーチの褒めないながらも、時々見せる笑顔と、

「自分のレースをすればベストが出る」という言葉を励みに

迷いなく泳げるようになっていったことが、

世界水泳での銀メダルにつながったようです。

 

つぎは、目指すは東京オリンピックでのメダルです。

頂点をめざす「頂点カツオ」を目指すと意気込みを語っています。

 

まとめ

2019年世界水泳で、

松元克央選手が日本新記録で

200m自由形で銀メダルを獲得しました。

日本男子が、自由形でメダルを取るのは

1936年ベルリン五輪以来の快挙といいます。

 

松元克央選手を急成長させた鈴木コーチとは?

また、1年前には右肩の故障で、ろくにトレーニングもできなかった松元選手が、

故障したからこそわかったこととは?

についてお伝えしました。



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