2024年3月1日に亡くなった鳥山明さんは世界的な人気漫画家で
「ドラゴンボール」や「Dr.スランプアラレちゃん」の作者です。
ゲーム「ドラゴンクエスト」のキャラクターデザイナーとしても有名ですが
私の地元、愛知では、愛知県民の誇りとも言える鳥山明さん。
鳥山明さんの妻(嫁)の経歴や、子供、家族構成についてお伝えします。
鳥山明の妻は元漫画家みかみなち
鳥山明さんの妻(嫁)は、
鳥山明さんと妻(嫁)である、みなみなちさんとは、1982年に結婚しています。
鳥山明さんは、デビューして、じきに描いた
「Dr.スランプ」で、一大ブームを巻き起こし
あっという間に、長者番付に名前が載るまでの売れっ子漫画家になります。
愛知県の新聞では、いつも一位だった、そんな記憶があります。
この、「長者番付」に載った翌日が、なんと結婚式だったそうで、マスコミにもバレて
大変だったと「徹子の部屋」で話されています。
鳥山明の嫁みなみなちの経歴
みなみなちさんは、漫画家は引退されていますが
それまでの経歴は
みかみなち先生、唯一の花とゆめコミックス『上へ下へのロックンロール』、クイーンを扱った「キングスロードに赤いバラ」の他にもキッスやBCR題材の作品もあって楽しい。これらが「花とゆめ」という少女マンガ誌(音楽誌ではなく)に載っていたという。 pic.twitter.com/DETNoE6NXi
— 三浦沙良 (@saramiura) November 14, 2018
1976年「モーニングキッスは恋の味」でデビュー。
昭和50年代に主に「ララ」「花とゆめ」などの白泉社系の雑誌にて、
ロック系コメディ少女漫画家として人気を博していました。
〜みなみなち作品〜
1976年
- モーニングキッスは恋の味
1977年
- 花咲け!三銃士
- 聖メフィスト混乱伝
- 青春のハーモニー
- キングス・ロードに赤いバラ
- キッスは悪魔の贈り物
- 上を下へのロックンロール
1978年
- 春ともなれば龍之介
- ドレ氏の受難曲
- 静かな雨 静かな夢
- 恋する言葉は摩訶不思議
- お子様ランチ最前線
1986年
- バック・ステップ・ガール
- 御姫様は眠れない
- 青春・冬物語
みみなちさんは、1986年頃に引退されています。
鳥山明と嫁の馴れ初め
鳥山明さんの奥様(嫁)である、みなみなちさんが出会ったのは
みなみなちさんの親戚の人がきっかけになったそうです。
たまたま、その親戚の方が、鳥山明さんと同じ町内の方だったらしく
名古屋に同業者は少ない(みんな東京へ行く)ので、同業者5人で会うことになったようです。
友人と一緒にいた時に、いたずら電話をする流れで、お嫁さんに電話をしたとの話もあります。
ちなみに、奥様(嫁)へのプロポーズは電話越しにメロンパンを食べながらしたとか・・・。
鳥山明と妻の関係性
鳥山明さんのお話から、妻である、みなみなちさんとの関係性は、
鳥山明さんより年上で、名古屋出身。
漫画家としては、鳥山明さんよりかなり先輩。
結婚当初は、家事が大変で、漫画はあまり描けていない(のちに、引退)
鳥山明さんの仕事を手伝ってくれる頼もしい存在で
漫画家の辛さをわかってくれるところが、ありがたい。
鳥山明さんから見ると、「要領が悪い」らしい(笑)です。
そして
鳥山明さんは奥様(嫁)の実力を誰よりも認めています。
かめはめ波は鳥山明の妻がいなければ生まれなかった
鳥山明さんが打ち合わせが上手くいっていなかった時、
たまたま、妻の「ジャッキー映画を流しながら漫画描いてる」という一言を聞いて
”じゃあカンフー物、小道具沢山ある→最遊記→ドラゴンボール
という発想となったようです。
そして、「西遊記」のキャラ・話を忠実に再現した作品にしようとしたら
なんと、妻の反応が良くない・・・
ということで、かなり手直しをすることによって生まれたのが
「ドラゴンボール」だったようです。
妻がいなければ、誕生しなかった「ドラゴンボール」
そして、
この「ドラゴンボール」のキモである「かめはめ波」ですが
この「かめはめ波」を考案したのは、鳥山明さんの妻である、みなみなちさんだったそうです。
「ドラゴンボール」は妻である、みなみなちさんがいなくては生まれなかった作品
夫婦の絆が生み出した作品だったということですね。
ちなみに、最遊記のダメ出しをした妻、みなみなちさんですが
なんと、
鳥山明さんより早い
1980年に「別冊花とゆめ」で「学園西遊記」という漫画を描かれています。
鳥山明先生の奥さん、「ドラゴンボール 」より先に西遊記物描いてたんやね。 pic.twitter.com/dGLK3tXQTX
— わんすあげん (@onceagaintokyo) September 4, 2021
ドラゴンボールは妻(嫁)が描いていた?
夫婦揃って、漫画家だった鳥山明さん。
ドラゴンボール連載の最初の頃、時間がなかったため
冒頭カラーなどの数ページを妻(嫁)に描いて貰うこともあったそうです。
そして、
あのセンスと知識にはかなわない
と話されていたそうです。
[Manga]
39年前の1984年11月20日、鳥山明の漫画『DRAGON BALL(ドラゴンボール)』が週刊少年ジャンプで連載開始。「巻頭カラーを含むはじめの数ページは時間が無く、ずいぶん奥さん(みかみなち)に描いてもらいました。彼女は以前少女漫画家で、僕よりずっとキレイな絵でした」(鳥山明・本人談)。 pic.twitter.com/fuFn9NGCfc— IBFs (@ibfs_jp) November 20, 2023
鳥山明の家族構成:子供は?
鳥山明さんには妻と子供3人がいらっしゃいます。
家族構成は、
妻、長男、長女、次女 です。
子供の名前や職業が凄い?
鳥山明さんの子供の名前が凄いそうです。
そして、職業も・・・・
まずは名前をみていきましょう。
まだ、昭和の頃は、いろいろと家族の情報も教えてくれるんですね(笑)
長男は佐助さん
長女はきっかさん
次女は不明
佐助とは、本当に、漫画から出てきそうな名前ですね。
昔から、漫画ではよくある名前ですが
実際に、サスケという名前の人は、珍しいのでは?
そして、注目は
きっかさん。
なかなか、珍しいお名前で、個性的です。
「機動戦士ガンダム」でカツ・レツ・キッカという子供達の名前がありましたが・・・
長男の佐助さんの誕生日は
1987年3月23日生まれ。
鳥山明さんが亡くなった時、36歳です。
職業は、鳥山明さんのお仕事の関係のようです。
鳥山先生ほんとに急だったのかな…
前兆があったから権利関係しっかりするためにカプセルコーポレーション作ったとかじゃないのかな?
息子の鳥山佐助さんが今後ドラゴンボールの監修していくのかな— ふぃーるど (@fieldNGZ) March 8, 2024
最近DB読み返して分かったどうでもいい話。ドラクエ5のスライムを仲間にした時の3匹目の名前がアキーラで4匹目がサスケなの、鳥山明でアキーラなのは分かるけどサスケって?と思ってたけど、鳥山先生の息子の名前が鳥山佐助だからなんだね。息子さんの名前がDBのコメントのトコに載ってて知った
— ラコソレガシ (@laco_soregashi) November 6, 2014
長女きっかさんの誕生日は
1990年生まれで、鳥山明さんが亡くなった時は、31か32歳
職業は、イラストレーターです。
かなり、凄い絵を描かれるようで、人気のイラストレーターのようです。
大活躍中らしいですよ。
中央が鳥山明さんの長女(鳥山きっか)らしい。 pic.twitter.com/kuHXuO5ik7
— tatsuya (@i_zazous) March 8, 2024
鳥山明の絵もスゴいんだけど、鳥山明の娘さんである鳥山きっか氏の絵もスゲーんよ。
— 積つとむ (@Seki202106) December 22, 2022
まとめ
2024年3月1日に亡くなった鳥山明さんの家族構成
妻との馴れ初めや子供の名前や職業についてお伝えしました。
鳥山明さんの妻も、子供も、実力者でかなり凄いことがわかりました。
超売れっ子漫画家になっても、地方で活動を続けた鳥山明さん。
ご家族との絆も感じられるエピソードも多く、
ご家族の悲しみはいかばかりかと思います。
ご冥福をお祈りします。
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