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宮本信子の旦那 伊丹十三は自殺?殺された?死の真相

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宮本信子の夫

女優、宮本信子さんは、NHKの朝ドラ「あまちゃん」の夏ばっぱや「ひよっこ」すずふり亭の鈴子など、

主人公を温かく見守るおばあさん役で人気の演技派女優で、

彼女の圧倒的な演技力に感動された方も多いのではと思います。

 

年齢を重ねても活躍の場は広がるばかりで、

芦田愛菜さんと年の離れた友情をテーマにした「メタモルフォーゼの縁側」など

映画にも意欲的に出演されています。

 

いつまでも、お若くて、

今や、優しくて頼りになるおばあさん役で人気の宮本信子さんですが、

 

実は、宮本信子さんの夫である伊丹十三(いたみじゅうぞう)さんは、衝撃的な亡くなりかたをされており、

その死には、様々な謎がささやかれていることをご存知でしょうか?

 

宮本信子さんの夫である伊丹十三氏は、映画監督で、

それも、ヒット作を何本も世に出した才能あふれる監督でした。

 

今の人気女優、宮本信子さんを作ったのは、

まぎれもなく夫で映画監督だった伊丹十三氏。

この夫婦の歩んだ道と悲しい出来事についてお伝えします。

 

 

目次

伊丹十三(いたみじゅうぞう)氏のプロフィール

 

生年月日: 1933年5月15日

没年月日: 1997年12月20日(64歳没)

本名:池内 義弘(いけうち よしひろ)

職業 :映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CMプランナー、ドキュメンタリー映像作家

妻:宮本信子(1969年 から )

長男:池内万作

次男:池内万平

 

 

 

伊丹十三の本 [ 「考える人」編集部 ]

 

 

宮本信子さんのプロフィール

 

生年月日:   1945年3月27日

出生地:北海道小樽市

出身地:愛知県名古屋市

職業:女優、歌手

夫:伊丹十三(1969年 ‐ 1997年)

 

 

宮本信子さんと夫、伊丹十三監督のなれそめ

 

宮本信子さんは、1963年、愛知県淑徳高等学校卒業後、文学座附属演劇研究所などを経て女優として活動。

二人は、宮本さんが名古屋から上京したばかりの1965年にNHKのテレビドラマ共演で知り合っています。

宮本信子さんとひと回りほど年違う伊丹十三氏は、時代の先端といわれるような職業をいくつも経験しており、

二人が出会った頃にはすでに、ベテラン俳優の域。

伊丹さんは1966年に離婚も経験しています。

 

NHKのディレクターと、どちらが先に宮本信子さんをお茶に誘えるかの賭けをしていた伊丹十三氏は、

ことあるごとに宮本信子さんをお茶に誘っていたそうですが、

 

宮本さんは、直感的に、

 

絶対にこの人は危険だ

 

と感じ、いつも「門限が・・・」などと言って、断っていたそうです。(笑)

しかし、根負けした宮本信子さんは、とうとう、

 

しぶしぶながらも、伊丹十三氏の愛車「ロータス エラン」に乗せられ、昼食とお茶をごちそうになったとか。

そこからは、毎日おいしいものを食べに連れて行ってもらったそうですが、

デートで連れて行かれたのが銀座のクラブなんてこともあったようです。

 

 

宮本信子さんは、出会った時の伊丹十三氏のことを、

 

最初に感じたのは、今まで逢ったことがない別世界のすごい人。一つ言葉を選ぶなら「異質」。私も幼かったからそれ以外の言葉が見つからないくらい、周りとは明らかに違いましたね。

だって、キャメルのオーバーコートに革の手袋をして、愛車のロータス・エランでテレビ局に来ていました。当時、そんなお洒落な方を知りませんし、カルチャーショックを受けました。素敵でカッコいいんです。

しかも外国生活の習慣なのでしょうね。普通に昼食ではビールやワインを飲んで・・・もうびっくりでした。当時は、仕事中に飲むなんて不謹慎者でしたもの。

みなさん眉をひそめていらしたと思います。今ならお昼からビールを飲む方を見かけますからね。時代が変わりましたね

引用:ケトルVOL.47(2019年2月15日発売)

と、語っていますので、

銀座の高級クラブデートのときも、

 

今夜はどこに連れて行かれるのかと思ったら銀座のクラブなんです。綺麗な女性がたくさんいらして、華やかな世界で。伊丹さん、シャンパンを空けてくれました。私はおさげ姿(笑)。どうして連れてこられたのかと思いながらずっと俯(うつむ)いていました

引用:ケトルVOL.47(2019年2月15日発売)

とか。

まさに、洗練された大人の男性と、ウブで世間すれしていない女性との取り合わせといった感じだったようですが、

お互い、それぞれにないものに惹かれ合ったということなのかもしれませんね。

 

こうした交際期間のあと、1969年二人は結婚。

 

子育てに専念した宮本信子さんでしたが、

1981年、夫である伊丹十三氏の初監督作品「お葬式」で

13年ぶりの映画出演復帰。それも、いきなりの主演となりました。

 

家庭に収まっていた主婦が13年ぶりに主演をはることも、かなりクレイジーですが、

それを提案、実行してしまう夫はもっとクレイジーです。

このクレイジーな伊丹十三監督のルーツについて、みていきましょう。

 

 

 

伊丹十三氏の人柄とルーツ

 

伊丹十三初監督映画「お葬式」は、すごい話題となり、大成功。

ここからは、才能あふれる映画監督として、伊丹十三監督は怒涛の如く活躍していきます。

 

世間の常識も通用しないうえに成功させてしまう伊丹十三とは、どんな人だったのでしょう。

 

昔、NHKで伊丹十三監督が、死ぬまでどのような人間だったのかにせまる特集をしていました。

 

それによると、

この、伊丹十三という人は、骨があり、頑固だけど、やさしさを持ち合わせていて

強引だけど、憎めない人・・・・だったらしい。

おいしい食事でないと食べなかったり、美意識が高すぎたりと

宮本信子さんとの夫婦生活の話を聞くと、なかなか大変だったようですが、

感性が人と違っていたことだけは確かなようです。

その伊丹十三監督のお父さんはどんな人だったのかというと・・・

 

伊丹十三監督と父親

伊丹十三監督の父親も、じつは、映画監督でした。

名前は伊丹万作。

十三氏が13歳の時に亡くなっています。

 

13歳といえば、一般的にも、反抗期の頃。

伊丹十三氏も、ちょうど反抗期でした。

 

とくに父親への反抗が一番ひどい時に、亡くなってしまったので、

十三氏は、自分が父親になるまでの長い時間、

ずっと父親への憎しみのようなものが消えなかったそうです。

 

十三という名前は13という漢数字ですが、

13という数字には、伊丹父子の妙な因縁があります。

 

 

十三氏が反抗していた父を亡くしたのは13歳のとき。

自分の名前を、十三に改名。

十三氏が映画監督となった後、13年で生涯を閉じることになる。

 

 

憎んでいた父親と同じ職業に紆余曲折後たどりついたものの、

父親が死んだときの自分の年齢であり、自分と同じ名前の十三という

13という年数しか、監督として生きることができなかった・・・。

 

偶然かもしれませんが、悲しい巡り合わせ、

父親から受け継いでしまった思念のようなものを感じました。

 

伊丹監督には息子さん達がいらっしゃり、その息子さんたちも父親と同じ俳優をしていらっしゃいます。

その十三氏の息子さん達には、父親からの呪縛のようなものを感じないで、自由に生きていってもらいたいなと

余計なお世話ながら思ってしまいました・・・。

 

 

伊丹十三氏の映画作りの原点は・・・

 

伊丹十三監督が、自分の父親を憎みながらも、じつは、父親の姿を追い続けていた人生だったのかもしれないと

私は思っています。

 

伊丹十三氏のが若かかりし時に作ったドキュメンタリーに

 

パリの街を、武士の格好で歩き、周りのフランス人がギョッとしている様子を

映したものがあります。

 

 

外国での日本のイメージである武士を実際に見ると、

外国の人はどのようなリアクションをするのだろうか。

 

外から日本を俯瞰して見てみて、そこから、日本人というものを考えてみたい。

というような内容です。

 

白黒映像で、大変、古いものでしたが、

いつも、俯瞰してどこかから日本人を見ている。

 

そんな視点で撮られた伊丹十三氏の原点のようなフィルムです。

 

 

この”物事を俯瞰して見る”という物事へのとらえ方は、

 

実は、十三氏の父親である伊丹万作監督の影響があるといわれています。

 

 

伊丹十三氏の父親である伊丹万作監督のテーマは

 

”暗い闇の中でも、いかに、美しい部分を芯にもって、後世に伝えていくか”

的なものだったそうです。

 

伊丹十三監督の映画は、

まさしく、この、父親のテーマに沿っていますよね。

 

 

彼は、あんなに憎んでいた父親の思いを、実はしっかり受け継いで、映画作りをしていたのだなと感じずにはいられませんでした。

(ある意味、父親の呪縛だ・・。)

 

 

伊丹十三氏・宮本信子さん夫婦の絆

 

こだわりや美意識が高い伊丹十三監督に合わせる、結婚生活は大変だったようですが、

それでも、伊丹十三監督と女優宮本信子さんは、仲がよかったそうです。

 

事実、

 

宮本信子夫人のインタビューを聞いていると、夫であるが、監督でもある十三氏を

とても尊敬している印象を受けます。

 

 

初監督映画を撮ろうという話が持ち上がった時のこと、

 

お金が足りなかった二人は、私財を投げ打って、すぐに動き始めたそうです。

なんの躊躇もなく、家の中のものを売ったとか・・・。

 

妻である宮本信子さんは、夫、伊丹十三氏の監督としての才能に信頼があったし

また、夫も、妻に対して女優として信頼していたということになります。

 

 

伊丹十三監督も、信子夫人のことを

 

「宮本信子という女優は素晴らしい。が、私が撮らない限り主役にはなれない。

 

だから、宮本信子を主役で撮りたい」と、主張したといいます。

 

二人共がお互いを尊敬し、信頼しあう、すごい夫婦愛を感じます。

 

伊丹十三初監督作品の「お葬式」という映画を、

まったく、人気女優でもない妻の宮本信子に主演させる。

 

当時は、特別美人でもない(と思っていた・・・。)し、活躍もしていなかった

おばちゃん女優を主演にするなんて、普通はやりません。

 

でもね・・・

 

キャストも題材も、全くおもしろそうでない、この「お葬式」が

実際見てみると、すごく面白い!!

リアルタイムではありませんが、はじめて見た時、

とにかく、ド肝を抜かれたのをよく覚えています。

 

なんとまあ、「お葬式」という、暗い題材を、よくもこんなにコミカルに、

 

そして、

エロ満載で描けるものだと、世の中の人みんなが驚いたと思います。

 

感覚を信じる夫婦

少し前、宮本信子さんが、NHKの朝ドラ「あまちゃん」の「夏ばっぱ」の役を演じたときのこと、

彼女は、「夏ばっぱ」が海女さんだったため、実際の海女さんと交流してから撮影に入っています。

宮本信子さんにとって役作りをする時にとても重要になってくるものが

 

”感覚”なのだそうです。

 

潮の匂いだったりを、自分の目で見た感覚、触った感覚、感じた感覚。

 

これがないとダメだそうです。

 

おもしろいことに

夫、伊丹十三氏も「お葬式」撮影の時に、美術スタッフが持ち込んだ家財を

自分の感じた感覚と違っていたため、自分で何もかも変えてしまっています。

 

この夫婦は、きっと、この夫婦にしかわからない”感覚”をわかり合い、

分かち合い、尊重し合っていたのでしょうね。

 

この、お互いを信頼しあった強い絆があったから

ただのおばさんだった信子さん(にしか私には見えていなかった・・・)が、

今、内側から輝くような美しい女優宮本信子になった。

 

そんなふうに、私には思えてなりません。

 

 

伊丹十三監督の死の真相は?

 

こんな風に映画作りをしてきた伊丹十三監督と女優宮本信子さん二人ですが、

本当に惜しいことに、彼の監督としての映画は10作品しかありません。

 

  1. お葬式(1984年)・・・まさしく、伊丹十三監督の監督としての才能を世に知らしめた作品。
  2. タンポポ(1985年)・・・つぶれかけの不味いラーメン店復活にヒーロー出現!?
  3. マルサの女(1987年・・・マルサという言葉を世に教えてくれました。こんな仕事があったなんて。
  4. マルサの女2(1988年)・・・続編。税金逃れはどこまでも許しません。
  5. あげまん(1990年)・・・出世する男の影には女あり?
  6. ミンボーの女(1992年)・・・暴力団をつぶすノウハウが・・・。この映画がきっかけで暴力事件発生。
  7. 大病人(1993年)・・・余命わずかになったら。それでもコミカルです。
  8. 静かな生活(1995年)・・・知的障害の家族がいたら・・・。
  9. スーパーの女(1996年)・・・ダメスーパー立て直しの道。
  10. マルタイの女(1997年)・・・監督の遺作。この映画で宗教団体を敵にまわしたとの噂も。

 

 

伊丹十三監督が亡くなったのは1997年。

衝撃的な亡くなりかた。それは・・・

 

飛び降り自殺です。

 

 

伊丹十三氏は、この頃、映画監督として、ノリにノッていた時期で、

世の中が、伊丹十三監督作品を待ちに待っている。

それほど期待されている存在でした。

 

そして、

伊丹十三監督が自殺・・・と聞いて、誰もが驚いたものでした。

 

なぜなら、伊丹十三という人間は、テレビで見る限りでは、

どんなものにも屈しない強い意志と覚悟をもって、映画作りに邁進する強気な人間。

 

そんなイメージの人だったからです。

 

その人が、志半ばで、自殺をするのだろうか・・・。

 

案の定、当然のごとく、

殺されたのではないか・・・

なんて、噂されはじめるのに時間はかかりませんでした。

 

 

伊丹十三氏の死については、様々な説があります。

 

一応、飛び降り自殺となっていますが、この自殺には、色々と不審な点があるそうです。

 

伊丹十三という監督の撮る映画は、人の心や社会の闇の部分に焦点をあてつつも、

そこに、ユーモアと優しさを忘れない、彼の才能を感じる映画ばかりです。

 

そして、忘れてはいけないポイントとして

彼の映画は何かと、ブラックな闇の世界にメスを入れる題材のものばかりだということ。

 

そのため、実際に、

1992年、映画「ミンボーの女」公開直後に、暴力団から顔を切られる傷害事件にも巻き込まれています。

しかし、彼は、ひるむ様子もなく、映画作りは続けていくと、

顔に絆創膏姿で、インタビューに応じていました。

 

普通、誰でもこわくて、尻込みし、映画作りも、断念するかもしれません。

でも、彼は、全くひるみませんでした。

 

伊丹十三氏の父親の万作氏も、気骨な人だったそうですが、伊丹十三という人間も気骨そのもの。

自分の信念に基づいて生きていく。そんな、印象を受けるインタビューでした。

 

でも、その監督が、ある日、突然の飛び降り自殺・・・。

 

亡くなる前に、伊丹十三氏は、女性関係をフライデーされており、

(この時代の週刊誌といえば文春砲ならぬ、フライデーでした。)

 

それを苦にしての自殺。そして病気を苦にしての自殺。

ということになっていたようです・・・。

 

が、

そんなこと言われても、世間の人は信じられませんでした。

強い男、信念の男のイメージがあった伊丹十三という男が、

たかだか、女性関係をフライデーされたから、病気がつらかったから

・・・自殺???

 

彼の映画を見た人間なら誰でも思うでしょう。

伊丹十三という男なら、女だって病気だって、なんだって

ひとひねりした面白い映画のネタにかえてしまうだろうって。

 

だから自殺ではなく、殺されたなんて言われるのも、自然な流れだったのです。

 

事実、不倫に関しては、

伊丹十三氏本人がインタビューで、

「妻に聞いてみればいいよ。いつものことだから」

と笑って答えていますが、

 

不倫を疑われたことに対する「抗議の自殺」

病気を苦にしての「自殺」

妻あてのワープロの遺書が出てきた

争った形跡がない

 

このあたりの理由から、自殺として処理されたといわれています。

 

 

しかし、世間では依然として

伊丹十三監督他殺説が根強く、伊丹氏が殺された原因としては

 

巨大宗教団体と暴力団の関係にせまったからだ。

死亡する直前まで伊丹監督が医療廃棄物の不法投棄問題を取材していたからだ。

 

とも噂されましたし、ほかにも、他殺説の理由として、

 

伊丹十三氏の昔からの知り合いたちが、「あいつは自殺なんてしない」と証言。

美意識の高く、書く文字にこだわりを持っていた伊丹氏が、遺書をワープロで打つはずがない。

遺書の文章が、拙(つた)ない。

亡くなる直前に度の強いお酒を、すきっ腹に1本を飲み干している。(無理矢理飲まされている)

 

などと、いわれたりもしました。

 

ただ、最後、伊丹十三氏のパソコンには、宮本信子さんの写真が呼び出されていたらしく、

自殺にせよ、他殺にせよ、死を前にして、奥様の宮本信子さんの写真を見ていたのかもと思うと、

なんとも、せつなくなります。

 

 

本当は・・・

遺書は暗号で、

奥様の宮本信子さんだけは、真相を知っている・・・。なんて、言われていたりもするのですが・・・

 

結局、残念ながら真相は藪の中です。

 

 

ちなみに、宮本信子さんは、

こんな、おもしろいおじさんがいたことを知ってもらいたいとして、

伊丹十三記念館の館長をやっておられます。

 

伊丹十三監督をご存じの方も、ご存じでなかった方も

伊丹十三氏の監督作品、是非、ご覧になってみてはいかがでしょうか。

別に、映画オタクでもない私でも

伊丹十三監督って、才能すごくない?と言いたくなるような作品ばかりです。

 

 

 

 

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